2006年は、ブラジルの名門サンパウロFCをFIFAクラブ世界選手権(現 FIFAクラブワールドカップ)優勝へ導いたパウロ・アウトゥオリ監督が就任。更にFWの柳沢敦が復帰、高卒ルーキーのサイドバック内田篤人の活躍などがあったが、シーズン途中に大黒柱だったMF小笠原満男がFCメッシーナ(イタリア)へ翌年6月までの期限付きで移籍してしまった。チームは2点以上失点するゲームが多く、リーグ戦での成績は伸び悩んだ。一方でヤマザキナビスコカップでは3年ぶりに決勝に進出したが、十冠がかかった決勝でジェフ千葉に敗戦。4年振りの同杯獲得はならなかった。天皇杯では、同年限りで引退を表明した本田泰人を優勝で送り出そうとするも準決勝で浦和レッズに敗れた。結局、パウロ・アウトゥオリ監督は1年で退任し、ブラジルへ帰国した。北海道旅行 2007年 2007年シーズンは、コリンチャンスを率いて2000年のFIFAクラブ世界選手権(現 FIFAクラブワールドカップ)を制覇し、サンパウロ、サントスなど名門クラブの監督を歴任しているオズワルド・オリヴェイラ(ブラジル)を新監督に迎えた。プレシーズンマッチで野沢拓也が負傷し、シーズン開幕から5節は勝ち星がなく(3月3日の開幕戦で川崎フロンターレ、3月11日の第2節でガンバ大阪にどちらも0-1で敗戦した後3試合引き分け)、野沢が復帰した第6節(4月14日)の横浜FC戦でようやくリーグ戦シーズン初勝利を挙げた。その後は復調し、5月12日の磐田戦でJリーグ史上最速の公式戦通算400勝、6月16日のサンフレッチェ広島戦で本山雅志のゴールによりホームゲーム通算500得点を達成した。 7月3日には期限付き移籍が終了した小笠原満男の復帰が発表された。復帰した小笠原はヤマザキナビスコカップ準々決勝での勝利に貢献した。7月29日には前年に引退した本田泰人の引退試合が、1993年のJリーグチャンピオンシップの出場メンバーを中心にした「鹿島アントラーズ1993対ヴェルディ1993」(4-2で鹿島アントラーズ1993の勝利)としてカシマスタジアムで開催された。 日本代表が参加したアジアカップの中断を経て、8月12日の第19節から再開されたJリーグでは、同節のヴァンフォーレ甲府戦で野沢拓也のゴールによりJリーグチーム史上最速のリーグ戦通算900得点を達成した。以後、鹿島は調子を上げ、9月22日の新潟戦以降はJリーグでの連勝を続けた。ヤマザキナビスコカップでは10月に行われた準決勝でG大阪に1勝1敗となり、アウェーゴール数の差で敗退した。優勝争いをしていたガンバ大阪と浦和レッズの不調が続き、11月24日には一時期勝点差11をつけられていた首位浦和との直接対決で1−0で下して2位に浮上した。これは史上最速のリーグ戦通算300勝でもあった。そして、12月1日、リーグ最終節で清水エスパルスを3-0で下して、終盤の9連勝で6年ぶりのリーグ優勝、同時にクラブの悲願だった「10 冠」を達成した。最終節まで一度も首位に立たなかったチームが最終節で逆転優勝したのはJリーグ史上初めて。1シーズン制でのリーグ戦通算22勝はチーム最多勝となった。 2008年沖縄旅行 1月1日、Jリーグ発足後史上初3度目の優勝をかけた天皇杯決勝は、サンフレッチェ広島と対戦し2-0で勝利。自身2度目となるリーグ戦との2冠を達成した[1]。1月9日、鹿嶋市からJリーグ発足史上最多の11冠達成を称え、特別功労賞を贈られ、2月1日には茨城県から県民栄誉賞(2000年度以来2度目)を授与された。 3月1日、ゼロックス・スーパーカップはJ2チームとしては初出場の広島と対戦し、2点をリードするも終了間際に追いつかれ、PK戦の末に敗れた。しかし、3月8日から開幕した2008年のJリーグでは開幕から連勝を重ね、2007年からのリーグ連勝 14(PK戦廃止以降としては最多)に伸ばす記録を達成した。 ダービーマッチ 日本のクラシコ o 鹿島アントラーズvsジュビロ磐田 1997年〜2002年までの6年間、リーグタイトルを競ってきた両チームの対戦に対して呼称されたもの。両チームとも調子が出ない時期であってもこの対戦になると好ゲームになることが多く、「日本のクラブを代表する一戦」とも言われ、また多くの観客を集めた。近年はジュビロ磐田の成績が振るわないことから、この呼称ではよばれなくなってきている。ちなみに「クラシコ」の語源となっているエル・クラシコ(西: El Clasico)とはスペイン語で「伝統の一戦」を意味し、スペインリーグ・「リーガ・エスパニョーラ」のレアル・マドリードとFCバルセロナの試合のことを指す。 茨城ダービー札幌 ビジネスホテル o 鹿島アントラーズvs水戸ホーリーホック + 茨城県のJリーグチーム同士の対戦。初の公式戦は2004年11月13日(茨城県民の日)の天皇杯4回戦で、水戸のホームである笠松陸上競技場で対戦しており、その時は13393人もの観衆を集めている。また、2005年からはいばらきサッカーフェスティバル(プレシーズンマッチ)としてシーズン開幕前に対戦している。 ヴェルメーリャ(ポルトガル語で「赤」の意味)ダービー o 鹿島アントラーズvs浦和レッドダイヤモンズ + 両チームともユニフォームカラーが赤色系統によるもの。地域性などで生まれたわけではないが、両サポーターが非常に熱狂的であることに加え、近年は浦和レッドダイヤモンズが強豪として台頭してきたこともあり、日本で最も盛り上がるカードになった。 獲得タイトル 国内タイトル 広告看板 ホームゲームにおける広告看板(ゴール裏)は1995年以後、部分的に回転ロール盤を使用している。当初はゴール裏の内側部分だけだったが、1999年以後は外側(スタンドとピッチの中間。カシマスタジアム開催分は客席の最前列)の部分にも使用している。試合時間帯に応じてアントラーズの協賛スポンサーの広告を切り替えて表示している。これは浦和レッドダイヤモンズ、大宮アルディージャの主催試合にも使われている。(かつてはヴェルディ川崎の国立での主催試合にも一時使われていた。) LE帯状映像装置 日本のサッカースタジアムでは初、アジアでは最長(全長500m)のLE帯状映像装置[2]が2階スタンド最前部の壁面をほぼ1周設置されている。[3][4] 2008年10月18日、J1第28節 vs京都サンガF.C.戦から試行運転として全面稼動[5]しカラー広告の表示やスタメン発表、他会場の途中経過などに使用される。 設置前は、アウェイスタンドからすでに設置されていた大型ビジョンが見えにくいためアウェイスタンドに向けたお知らせや避難誘導などにも使用される。 スクール スクールマスター:小松義典 ユース 鹿島学園と提携するなど力を入れている。曽ヶ端準や野沢拓也らはユース出身である。ユース出身の選手は、鹿島アントラーズの選手一覧の下部組織出身者を参考のこと。 主な大会実績 1997年 日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会 準優勝 1998年 第6回Jユースカップ 優勝 2004年 第12回Jユースカップ 優勝石垣ホテル・石垣島宿泊 2006年 関東プリンスリーグ 第3位 ジュニアユース ジュニアユースチームとジュニアユースノルテチームの2チームがあり、ノルテチームは茨城県の県北の生徒で構成されている。Jリーグ U-13には、ジュニアユースチームとノルテチームの両チームが参加している。2008年につくば校を新設。 鹿島校 o 2002年 第14回高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会 優勝 日立校(ノルテ) つくば校 ジュニア 元アントラーズ所属の中村幸聖もコーチを努めている。クリニックコースは茨城県内各地に11校開校している。 鹿島校 つくば校 主な大会実績 2007年 第31回全日本少年サッカー大会 準優勝 クリニック 新聞 o 茨城新聞 + 紙面詳細報道高速バス ラジオ o エフエムかしま + 「アントラーズスピリッツ」 毎週金曜 18:00〜19:00(週末試合がない場合は18:00〜18:30) + 「アントラーズ10min」毎週金曜 12:35〜12:45(ひるどき767内コーナー) + アントラーズのホームゲーム(カシマスタジアム開催)の際に実況放送(試合開始30分前〜試合終了後) o 茨城放送 + 「がんばれ!!鹿島アントラーズ」 毎週月曜 18:15〜18:45 + 「阿部重典のアットマーク -auつないでいこうアントラーズ」 毎週木曜 16:45〜16:50 o bayfm湘南 不動産 + 「ANTLERS REAM BOX」 毎週金曜 10:18〜10:37 インターネット o 鹿島アントラーズ公式サイト + 「メンバーズルーム」(有料会員制)動画配信・最新情報等 + ホームゲーム開催時、無料で音声実況を配信 情報誌 o 月刊アントラーズフリークス(クラブハウス・スタジアム他、ホットスパー一部店舗にて販売)
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